numako日記07

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05月11日(金)2007年 大出森林軌道(仮称)大出〜上大出
04月30日(月)2007年 X.Org X11R6.9.0 on G400
03月24日(土)2007年 釜石鉱山 第6号、第7号インクライン跡
01月28日(日)2007年 大出森林軌道(仮称) 小田沢付近
01月21日(日)2007年 花巻電鉄 軌道線 西花巻〜西公園間
01月11日(木)2007年 鶯宿森林鉄道 舛沢付近
01月10日(水)2007年 頂きモノ

05月11日(金)2007年

大出森林軌道(仮称)大出〜上大出

大出森林軌道(仮称)のうち上大出、砂防ダムの前後の辺りは以前探索していましたが、
実は大出の中心地からここに至るまでの道筋が不明でした。

大出森林軌道(仮称)跡上大出付近

それがこの前、住宅地図(wをなにげに眺めているとぁゃιぃ道筋をハケーン!
さっそく逝ってみるとビンゴ!
国交省の空中写真に加筆
赤点線が最初に探索した付け換え後の軌道跡。青点線は後述する付け換え前の軌道跡です。
mapion
まずは大出の中心部から現車道を北上して突き当たり、A地点。丁度、軌道跡上に薪小屋が立っており小屋もいい感じでカーブしてます。
少し進んで振り返って。向こうに先程の薪小屋が見えます。そこからは多少使われてる様で薮もありません
奥にはしいたけのホダ木?が並んでいました。
B地点へ行くと築提状に北上して行きます。
ぐるっと回ってC地点では沢を渡るためにけっこう高い築提が。
D地点、現林道との交差地点で振り返って。前回はこれを見逃してしまったんだよなあ。ちょっと分かりづらいですよね(汗。

前回探索部分はとばして E地点。現林道が軌道跡と思われますが、北側部分が石積で護岸されてました。これは軌道時代からのものだろうか?
さて、あんまり期待しないで橋を渡りましたが、正面の沢への林道が勾配も少なくもしやと更に進んでみると左手に何か見えるぞ!
F地点、おお、橋台跡だ。正面の沢の軌道から分岐、ループして土倉川沿いへと向かっていた様です。
殆んど期待してなかった川を渡った先にもこんな濃い痕跡があったのは想定外(w。いや、単に調査不足なんですが。まだまだ調べれば出てくるかも知れないかしら。

さて、と、ここで話は戻って住宅地図にぁゃιぃ道筋を見付けた時点。それを机上で検証すべく国交省の空中写真や国土変遷アーカイブの空中写真を眺めていたらば、昭和20年代には上記の軌道筋は途中までしか見当たらなく、その代わりに川に沿って行く軌道筋?が見えるじゃないですか!
川の途中H地点の砂防ダム昭和32年に作られたもので、その前後で軌道は付け換えられていた?!
その堰堤上から下流側を見てみると、おお、軌道跡と思われる石垣の護岸が!
ただこの空中写真の予想のうちダムより上流側は文字どおりの予想で踏査はしてないです_| ̄|○今ではダムにも水が溜り他の部分も薮々だしね〜(w。
しかし、例の橋の袂、下流側左岸にはぁゃιぃ掘割があり、そのままマッスグ川を渡った右岸にはやはりぁゃιぃ石積みの護岸が続いています
う〜ん、これはまだまだ調査の必要がありますねえ。

それとですよ、付け換え前の軌道跡は小出からの軌道跡(水色の点線)からまっすぐ進むので良いとして、付け換え後の軌道跡はそれと直交する事になります。
直交箇所直前には軌道跡の橋が現存するので、こちら側の軌道筋を曲げたとは考えられない。かと言って道路を過ぎた後でスイッチバックしていたような痕跡も今のところ見付かっていません。

一体どの様に接続していたのだろうか?


04月30日(月)2007年

X.Org X11R6.9.0 on G400

自作機2台目にはG400が刺さっていまして、こちらのFreeBSDはバックアップ用なので普段は1台目からsshで操作しておりXを起動することは殆んど無いのですが(文字通りバックアップ用なのでアプリも殆んど同じ構成にしてある)、X11R6.9.0以降偶に起動してみたらマウスカーソルが出ない事には気がついていた。
まあいいや(wと放置していましたが、そういえば以前G550でも似たような事があって金崎師匠にメールしたことがあったなあと思いだし、探してみるとありました。
>Date: Fri, 02 Aug 2002 16:17:37 +0900 (JST)
>X-Mailer: Mew version 2.2 on Emacs 21.2 / Mule 5.0 (SAKAKI)
>
>XFree86 4.2.0でG550でカーソルがおかしい件、解決致しました。
>その後ググってみたりもしましたが有効な情報は見付からず、こりゃMatroxの
>ドライバの更新に期待するしか無いかとサイトをちょくちょく覗いていたんで
>すが、ふとFAQがあるのに気づいて見てみるとそのものズバリが有りました(爆。
>結局、ハードウエアカーソルがおかしいので、
>Option "HWcursor" "no"
>とするだけ。
>これで特に不具合は無いし、このFAQは3月には上がってるので、2月のβドライ
>バリリースから更新が無いのも道理でしたね。
今回も同じ設定で解決しました。

それにしても当時は、Gシリーズは同じドライバなので最新機種で不具合が出るのはしょうがないかなと思いましたが、下位機種で不具合が出るようになるとは思いもよらなかったなあ。

これはあれか、もう新しいカードを買えと言うことか!
しかし今更AGPなカードを買うのもなんだから、PCIeなカード?
すると必然的にマザーも変えてCPUもCore2Duo?…お金が…_| ̄|○


03月24日(土)2007年

釜石鉱山 第6号、第7号インクライン跡

釜石鉱山桜山運鉱線を挟む様にあった第6号、第7号インクライン。
第6号は運鉱線の終点、蟹岳前のヘアピンの辺り(国土交通省の空中写真に加筆)500mレベル坑道入口前にありました。
mapion
抗口左の石垣がその痕跡。横から見ると角度が付いていて、こんな感じで通っていたと思われます。
製鉄所の社史にあった当時の写真。面影が有るような無いような。こちらは早い時期にこの500mレベル坑道が出来ると廃止された模様。

第7号は運鉱線の始点から大橋までの間(国土交通省の空中写真に加筆)
mapion
現時点で残る選鉱場の脇辺りにありました。尚、現在この選鉱場は解体中です。
こちらも良く見るとこんな感じで斜めに走る石垣が見て取れます。正面に見える場所から

さて、問題は社線がここまで来ていたはずですが、A地点から(国土交通省の空中写真に加筆)インクラインのあった選鉱場方向を見てもかなり高低差があります。
そこで、国土地理院の国土変遷アーカイブ昭和23年の空中写真を見てみると、A地点からB地点、社線大橋駅の背後にかけて大きくスイッチバックしていた(国土交通省の空中写真に適当に加筆w)様です。

しかし、こちらの社線のスイッチバックの痕跡は殆んどありませんでした。


01月28日(日)2007年

大出森林軌道(仮称) 小田沢付近

遠野町上早瀬橋畔から附馬牛村の大出まで通っていた森林軌道。昭和10年に開設されますが、アイオン、カスリン台風により壊滅。その後附馬牛村の大出〜上柳間は再開されますがその他の区間は再開される事はありませんでした。
そのうちでも早瀬〜八幡間は道路として残るものの、あとは痕跡も殆んど無くルートの確定すら難しい状況でした。

しかし、とらねこさんのblogに依ると駒木地区に地籍調査が入り、軌道跡が分かるとのこと。
行ってみました。
mapion
国土交通省の空中写真に予想ルートを書き込んでみました。
まずはA地点。県道から東方面。ここから来てたと思われますが、これより東側は地形改変もあり今のところ不明です。
さて振り返ると軌道跡は県道脇の林の中に入っていきます。林の中は以前は車両も入ってた様な感じで道形が続きますが、特段な遺構は見られません。
やがて県道により切り取られます。
一旦は切り取られるものの離れて見ると崖の中間に軌道跡の筋が見えます(右に見える橋は空中写真の頃より上流に架け変えられています)。
崖に沿ってB地点に来ると小さな沢を渡っていた様です。けっこう高い築提が相対しています。
しかし、ここにも橋台等の遺構は無し。軌道跡は築提の状態で続きます。
林を抜けてC地点一番手前に見える家の段が軌道跡だと思われます。この家が当時あったかは分かりませんが、この家をかすめる様に通っていたと思われます。
この後暫くは現県道、当時の街道と並行していたのか?

さて、D地点の手前、県道の西側に怪しく逸れてる部分にも地籍調査の杭が立っています。ここが軌道跡だったのか、または街道跡なのかはイマイチわかりませんでした。D地点から振り返って
D地点から附馬牛方面を見ると、おっ、おっ、なんか掘割状に続いてねっすか?
おお、これは完璧な切り通し(w こんなのが残ってたとは。
切り通しを抜けると向こうの家の後ろに回って行った様です。
ところでこのE地点付近は、赤点線の様に別の杭でマーキングされた道形が交錯しています。こちらは街道跡なのか?
さっきの家の裏に回ると、県道を挟んだ向こうの家の辺りに向かっていたのか?

この後はほぼ等高線に沿う様に集落の丘を回っていたと思われます。
F地点に至ると杭と共に薮も刈払われていて、こりゃ逝きやすい(w
川沿いになるとその川側にはなんと石積みの護岸が! こういう遺構としては上柳以南では初じゃなかろうか?

この後は川と現県道に挟まれながら附馬牛町に入ります。附馬牛町でも地籍調査しないかなあ(w


01月21日(日)2007年

花巻電鉄 軌道線 西花巻〜西公園間

花巻電鉄は鉄道線(花巻温泉線)と軌道線(鉛線)との2系統あり、鉄道線の方は自転車道として軌道跡が残りますが、軌道線の方はほぼ中山街道との併用軌道だったので現県道に飲み込まれています。
しかし、西花巻と西公園間はやはり自転車道としてですが軌道跡が残る部分です。また、この区間は河岸段丘上にある花巻駅や西花巻駅から段丘下の中山街道へ駆け下る部分で、比較的単調な花巻電鉄の中にあって趣深い部分でもあると思われます。
mapion
国土交通省の空中写真を見ると下方を横切る現県道が右端の東北本線の下を潜ってるのが分かると思います。また上方を横切る道路は東北本線を跨線橋で越えていますが、ここはかつての花巻電鉄の跨線橋跡で、東北本線が電化されるまではここを越えて本線東側にある中央花巻駅へ向かっていました。
西花巻駅もその頃は花巻駅から来た電車はスイッチバックして軌道線へ向かっていた様です。その後この跨線橋が廃止された後、西花巻駅のスイッチバックは無くなり直接軌道線に向かうようにされた様です。

まずはA地点の陸橋の上から北側。現消防署の辺りからビミョウにS字を描いて下って来ます。そこから振り返って南側。やはりビミョウなS字を描いて下って行きます。
B地点に近づくと小川を越えてもう一つの陸橋が見えて来ます。ちなみに小川部分はすっかり整備されていて橋台などの痕跡は無し。
うひ〜、狭い。んでもいい雰囲気(w
通り過ぎて振り返って。しかしこの陸橋の存在自体ビミョウ。小川と県道に挟まれた狭い丘の上を道が通っているのだが、そこを開削したのだろうか?
さらに下ってC地点県道との合流点。さらに県道の反対側から。こうして見るとけっこう勾配があるよなあ。


01月11日(木)2007年

鶯宿森林鉄道 舛沢付近

雫石駅から鶯宿温泉を抜け、インクラインとトンネルで沢内まで行っていたと言う軌道。雰囲気が残ってるのはこの舛沢付近だけでしょうか?
mapion
マピオン地図ではちと分かり辛いので国交省の空中写真を。
A地点、神社のある辺りから南西方向に真直な道が残ります。そこを振り返るとかすかに築提が
しかし、その先は薮々だあ〜。それでも突き進んで行きますが対岸には特に痕跡は無く、築提も残って無い模様。此岸にも橋台の痕跡もありません。
しかし川の中に何か見えるぞ。橋脚跡がありました。

ここは空中写真のB地点になりますが、川面からはけっこう高い位置になります。対岸もC地点の段丘はけっこう高さがあります。
この間に現在も空中写真の時代も何も痕跡はありませんが、現在の地形図この部分を見ると怪しくカーブする築提が…。

軌道はC地点に向かって真北から来ていたと思われますが、以前はこの様な築提があったのでしょうか?


01月10日(水)2007年

頂きモノ

はくちょうnoお部屋のはくちょう氏から30,000HitCGを頂きましたヽ(´ー`)ノ

しかし、去年の4月に"仙台鉄道を歩く"で氏と会った時、
「numakoさんとこそろそろ2万hitでしょ」ともちかけられてから幾星霜。何時の間にやら3万hitになってるし(w。
実物よりちとイイ男なのはそのためかー。あっ、いや、大変嬉しいです(汗。

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TLがカッコいいにゃ〜。


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